椅子づくりに革新を起こしたミヒャエル・トーネット。その生涯と功績について。
2023.12.04 デザイナーズ家具椅子の歴史は非常に長く、数千年前の古代エジプトの頃には、すでに椅子の基本形が完成していたといわれています。一方で技術・デザイン・生産様式・流通は、時代や社会を背景に、しばしば革新が起こっています。
今回ご紹介するミヒャエル・トーネット(Michael Thonet:独1796~1871)は、19世紀後半を代表する近代椅子デザインの申し子であり、20世紀の家具のあり方を方向付けました。「No.4」「No.14」と呼ばれる傑作椅子が有名です。
ト―ネットの椅子デザインは、彼の死後も、爆発的に世界に広まっていきます。自宅、待合室、ラウンジ、喫茶店、オフィス……実は意識してみると、ト―ネットのデザインをそこかしこに見ることができます。
なぜここまで影響力を持ったのか? ト―ネットはデザインのみならず、椅子を効率的に生産する方法を生み出したり、無垢材を蒸して曲げるという曲木技術を確立した人物としても知られています。上流階級向けの豪奢な装飾デザインではなく、低コストで大量生産できる椅子を志向したト―ネットは、20世紀の椅子づくりに大きな影響を与えました。
この記事では、そんなトーネットの生涯をあらためて辿ることで、家具デザインの世界を探求していきます。そして、家具の歴史を知る楽しさ、その魅力を、一人でも多くの方に届けられたらと思っています。
1972年創業の旭川家具メーカー「WOW」は、デザイン賞を受賞したデザイナーと共同製作した家具を取り扱っております。そんな作り手であるWOWが、「デザインの歴史」を紐解き、学びながら、「デザインとは何か」「いい家具とは何か」「これからの時代に求められる家具とは何か」を見つめ直すことには、大きな意義があるのではないか。私たちはそう考えています。
ミヒャエル・トーネットの生涯と実績
(1)ドイツのデザイン哲学をしっかり学んだ修行時代
なめし皮職人を父にもつミヒャエル・トーネットは、1796年、ドイツのライン川西岸にあるボッパルトという町で生まれました。
トーネットが家具職人に弟子入りしたのは10歳の頃。フランスの貴族階級の間で当時流行していた「アンピール様式」の影響を受けつつ、生活の実用性を求めドイツの「ビーダマイヤー様式」のデザイン哲学を学んでいきました。
10年以上にわたる職人の下積みを経て、トーネットは23歳でマイスター資格を取得。生まれ故郷のボッパルトに工房をかまえ、ビーダマイヤー様式の家具づくりを究めていきます。
(2)独立後の躍進、「曲木技術」の改良でイノベーション
独立後に開発した曲木技術は、家具づくりのイノベーションを巻き起こし、一躍有名になっていきます。
もともと曲木技術じたいは、すでに存在していました。
しかし当時のビーダマイヤー様式でつくられる曲線は、【安価な木材を薄く削ってカーブをつくる→カーブ板を張り合わせて形にする→最後に上質な木材を貼り付けて見栄えを整える】という非常に手間のかかる工程を3つ経なければならなかったのです。
「こんな工程では効率が悪すぎる」と問題意識をもっていたトーネットは、「曲げ合板」の技術を開発。この画期的な技術により、これまでできなかったデザインを実現したり、作業能率を大幅に改善したりするなど、家具づくりのイノベーションを起こすことができました。
トーネットが編み出した「曲げ合板」
薄板を膠(動物の骨や皮を長時間煮て抽出した接着剤)で溶いた湯に入れて煮た後、膠の染み込んだ板を数枚重ね、曲面の形をした治具にはさんで曲げて乾燥させる方法。
1839年にはウィーン博覧会に作品出展を果たします。二年後の博覧会では、なんとオーストリア=ハンガリー帝国のメッテルニヒ宰相(世界史でも有名ですよね)の目にとまることに。
メッテルニヒはトーネットの技術にいたく感心し、「ウィーンに移住して仕事をしたほうがいい」と直々にアドバイスしたのだとか。それがトーネットの大きな転機となったことはいうまでもありません。
さっそくトーネットは家族を連れて芸術の最先端・ウィーンへ移住しました。そこではリヒテンシュタイン宮殿の内装工事や椅子製作を手がけ、ますますキャリアを高めていきました。
(3)量産を意識した「No.4」の誕生
トーネットは現状に甘んじることなく、デザインや技術の開発に情熱を注ぎました。曲木技術はまだまだ洗練する余地がある――そう考えたトーネットは、自分自身が開発した曲木技術をさらにブラッシュアップしていきます。
その結果生まれたのが、「厚めの無垢材を曲げる製法」です。まっすぐで力強い無垢材の板を、白鳥の首のように柔らかく美しい曲線に変える。この製法は、現代でもなお使われ続けている驚くべきイノベーションでした。
厚めの無垢材を曲げる製法
蒸して柔らかくした木材の両側から鉄板を当てて曲げる方法。通常、木材を曲げると、弧を描いた外側の張りが強くなってしまうため、木の繊維がちぎれてしまう。トーネットが生み出した方法では、木材の両側から鉄板を当てるため、木材の中心軸は外側に移行し、応力を内側に集めることで木材は破損することなく曲がっていく。
そうして生まれた椅子が、かの有名な「No.4」こと「ダウム・チェア」でした。名前は“カフェ・ダウム”というお店から依頼を受けて製作したことに由来しています。
No.4(ダウム・チェア)は、たった6個の部材からなる、シンプルでデザイン性にすぐれた椅子でした。なにより大量生産&低コストであることが、「マスプロダクト製品としての家具」の位置づけを揺るぎないものにしたといえます。
とくにト―ネットのなかで、「木材産地に工場建設」と「ノックダウン方式」は、低コスト化の実現に大きく寄与しました。
木材産地に工場建設
ウィーンに移住後、ト―ネットはビーチ材が採れるチェコ・ハンガリー・ポーランドといった地域の山間部に工場を建てました。伐採後すぐに製材して加工することで、原木を運ぶよりもはるかに輸送コストが安くなりました。
ノックダウン方式
家具の部材をコンパクトに梱包して販売拠点に運び、現地で組み立てる方法をノックダウン方式といいます。修理する際も、傷んだ部材だけを取り換えればよかったので、非常に便利でした。。
さらにト―ネットは、販売促進活動にも力を入れました。博覧会や見本市に積極的に出店し、デザインにこだわったポスターを制作し、なんと複数言語に対応したパンフレットも配布していたそうです。ト―ネットは職人でありながら、非常にビジネス的感覚にも優れており、“家具のマーケティング”の面でも功績が認められています。
(4)ト―ネットの名を確固たるものに。傑作「No.14」の登場
1851年のロンドン万博では、最新の曲木技術をいかんなく発揮した傑作の数々を出展。“ト―ネットの椅子”はもはや代名詞となり、1859年には歴史的に名高い「NO.14」が誕生。発売以来、今日にいたるまで2億脚以上が生産されたというロングセラー商品です。
その後、息子たちと会社を設立し、トーネットはますます躍進していきます。経営者としても才覚もあったようです。
おわりに
1871年、トーネットは惜しまれながらも、75歳の生涯に幕を閉じました。ト―ネットの基本コンセプト「軽い」「丈夫」「美しい」「安い」は、20世紀の椅子づくりやマーケィング戦略において、大きな影響をもたらしたと称されています。たとえば「No.14」は多くの家具デザイナーに影響を与えました。北欧椅子の名作「ヨーテボリ」や「カフェチェア」がその好例です。トーネットの椅子づくりにかける情熱は、今なお生き続けているといえるのではないでしょうか。
【参考資料】
『名作椅子の由来図典』(著:西川栄明/誠文堂新光社)
『Thonet』