機能主義の申し子、ブルーノ・マットソン。スウェーデンのモダンデザインを世界に知らしめた功績者について。

2023.12.11 デザイナーズ家具
機能主義の申し子、ブルーノ・マットソン。スウェーデンのモダンデザインを世界に知らしめた功績者について。
引用元

ブルーノ・マットソン(Bruno Mathsson:スウェーデン1907~88)は、北欧モダンの歴史において、ひいてはスウェーデンのデザイン史上、きわめて重要な人物として知られています。

20代の頃から機能的なデザインの探求心を持ち、独学で研究を続け、マットソン流の「機能主義」を見事かたちにしました。

座と背の角度・高さにこだわり、快適性を追求するその姿勢は、20世紀の機能主義的なデザインに大きな影響を残しました。

1930~40年代の椅子デザインは、マットソンの名声を確固たるものにした黄金時代。スウェディッシュモダンの金字塔となる椅子「Eva」(エヴァ)をはじめ、数々の傑作を生み出しました。「エヴァ」「ミナ」「ミランダ」「ペルニラ」など、彼は自分の作品に女性の名前を付けるのが好きだったようです。 

機能主義の申し子、ブルーノ・マットソン。スウェーデンのモダンデザインを世界に知らしめた功績者について。
「エヴァ」と「ミナ」(引用元

マットソンは、実は日本にも大変ゆかりのある人物です。もともと北欧家具は、西洋人の体格を前提に設計されるものが多いのですが、マットソンは、日本人が快適に座れる椅子を目的に一からデザインを書き起こし、畳の上でも使える「安楽椅子」を考案しました。

この記事では、そんなブルーノ・マットソンの生涯をあらためて辿ることで、家具デザインの世界を探求していきます。そして、家具の歴史を知る楽しさ、その魅力を、一人でも多くの方に届けられたらと思っています。

1972年創業の旭川家具メーカー「WOW」は、デザイン賞を受賞したデザイナーと共同製作した家具を取り扱っております。そんな作り手であるWOWが、「デザインの歴史」を紐解き、学びながら、「デザインとは何か」「いい家具とは何か」「これからの時代に求められる家具とは何か」を見つめ直すことには、大きな意義があるのではないか。私たちはそう考えています。

ブルーノ・マットソンの生涯と実績

(1)つくるだけでは満足できず機能美を追求した青年時代

スウェーデン南部のヴェルナモに生まれたマットソンは、父カール・マットソンが営む家具工場で10代の頃から修行をはじめ、家具職人の道に入りました。

マットソンは、父の背中を見ながら、仕事のノウハウ、木のこと、木工技術など、職人として必要なセンスを一から身に着けていきました。

しかしマットソンは、ただつくるだけでは満足しませんでした。「形態は機能に従う」と考える機能主義運動に触発され、ヨーテボリにある芸術工芸博物館でひたすらデザインの研究に打ち込みました。1920~30年のおよそ10年間、彼は機能主義の本質を問い続けたのです。

(1)つくるだけでは満足できず機能美を追求した青年時代
マットソンの故郷ヴェルナモ。世界的な名声を得た後も、故郷での家具製作にこだわり続けました。(引用元

(2)デザイン哲学の開花。名声を知らしめた30代

家具デザイナーとして10年修行したマットソンは、みずからの機能主義哲学をかたちにした試作椅子「グレショッパン」(Gräshoppan)を完成させました(参考)。

その後マットソンは、曲げ接着技術を駆使した家具を試作し、1936年、29歳のときに初めての個展を開催しました。開催地は、マットソンが足しげく通ってデザインを学んだヨーテボリの芸術工芸博物館でした。これが彼のその後の運命を方向づけました。

1937年には、パリ万国博覧会で家具デザイナーとして大ブレイク。万博期間中、マットソンの作品は多くの耳目を集め、瞬く間に名を轟かせることになります。彼の作品は、ニューヨーク近代美術館のデザイン部門からも熱い視線が注がれていました。

1939年、ニューヨーク博に出展したマットソンは、「スウェーデン家具デザイン」の魅力を世界中に知らしめることができました。

(2)デザイン哲学の開花。名声を知らしめた30代
自宅でみずからデザインした安楽椅子「ペルニラ」でくつろぐマットソン。1950年代の頃の写真。(引用元

(3)知的交流を深めて建築家としても名をはせた40代

1940年代、マットソンは妻と共にアメリカへ。チャールズ・イームズウォルター・グロピウスハンス・ノールフランク・ロイド・ライトといった偉大なデザイナーたちと知的交流を深め、大いに刺激を受けました。その結果、マットソンは建築デザインの面でも大輪を咲かせることになります。

マットソンの建築でいえば、全ガラス張りの家具ショールームが有名です。1950年に建造され、いまでも彼の故郷ヴェルナモに現存しています。

(3)知的交流を深めて建築家としても名をはせた40代
マットソンのガラス張りのショールーム(引用元

(4)日本文化との出会い

マットソンは日本とも非常にゆかりのある人物です。1974年に来日したマットソンは、「床に座る」という日本独特の文化(タタミ文化)にインスピレーションを受け、日本人の体型に合う椅子のデザインを考えることにしました。

1976年、山形の家具メーカーとライセンス契約を結び、さっそくデザインにとりかかることに。そこで彼は、床に敷いた大きな紙に寝そべった姿をペンでなぞり、型をとった――というユニークなエピソードが伝わっています。このとき誕生したのが、「マルガリータ」と呼ばれるソファでした。タタミが傷つかないように脚部がソリ状になっているのがユニークです。

おわりに

晩年になっても、ブルーノ・マットソンはいつまでも情熱の火を絶やさず、新しいことにチャレンジし続けました。彼は80歳のとき、コンピューターに大変興味を持ち、コンピューターユーザーのためのオフィス家具を開発しました。

1988年に闘病のすえ、マットソンは没しました。マットソンのデザインはいつも芸術的であり、実用的であり、そして刺激的でした。

「私の椅子は、座る力を論理的に深く思考した実践的結果である」

デザインと機能美の探求。20代の頃に醸成されたデザイン哲学は、普遍的で一貫性があり、いまもなお人々を魅了し続けています。

【参考資料】

『名作椅子の由来図典』(著:西川栄明/誠文堂新光社)

Swedish Design』『Jackson Design

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