ジョージ・ナカシマ | 不完全さを愛する美学。“アメリカ木工の父”の半生に迫る。
2024.04.03 デザイナーズ家具“アメリカ木工の父”ことジョージ・ナカシマ(George Katsutoshi Nakashima:1905~90年)は、日系2世の家具職人で、世界的なハンディ・クラフトマンとしても知られています。
アメリカ建築の泰斗といえばフランク・ロイド・ライトですが、一方の家具づくりはまだまだ発展途上でした。
国柄的に“革新的なデザイン”では秀でていましたが、単純作業を丹念にこなす能力や精神性が求められる“クラフツマンシップ”は、日本やヨーロッパに遅れをとっていました。
そんなアメリカに、“クラフツマンシップ”すなわち“ものづくりの精神”を浸透させたのがジョージ・ナカシマだったのです。
建築家としてのキャリアを捨て、家具制作の道へ歩み出したナカシマは、世界的な評価を受けるデザイナーへと登りつめますが、本人はあくまでも謙虚に「一介の木工職人」であると自称しました。
「木と対話し、木が本来求める形」へと導くという彼の哲学は、多くのアメリカ人木工職人を魅了し、今日もなおナカシマ作品の製作を支えています。
1972年創業の旭川の家具メーカー「WOW」は、デザイン賞を受賞したデザイナーと共同製作した家具を取り扱っております。そんな作り手であるWOWが、「デザインの歴史」を紐解き、学びながら、「デザインとは何か」「いい家具とは何か」「これからの時代に求められる家具とは何か」を見つめ直すことには、大きな意義があるのではないか。私たちはそう考えています。
ジョージ・ナカシマの作品の特徴は「不完全さ」
ナカシマが創り出した作品は、単に美しいだけでなく、機能性にも優れ、20世紀工芸の頂点に君臨する存在として世界中から称賛されています。その理由は、研ぎ澄まされた美しさや理にかなったフォルムだけではありません。
一言であらわすなら、「不完全さを愛する」――従来であれば廃棄されてしまう節やコブなどの「欠点」を、むしろ作品の特徴として昇華させる、稀有な感性と卓越した技術力が彼の真骨頂です。ナカシマは、ありのままの木材を受け入れ、その個性を最大限に引き出すことを信条としていました。
ジョージ・ナカシマの半生
(1)最高の環境で建築を学んだ学生時代
ワシントン州スポケーンで、ジョージ・ナカシマは武士の血をひく家庭に生まれました。
青年時代はワシントン大学で建築学の学位を取得。その後、ハーバード大学の大学院に進学し、デザインを学びました。
しかし理論偏重のプログラムに疑問を感じたナカシマは、実践的な基礎を得るべく、MITへの転学を決意。さらにその後は、奨学金を得ながらフランスの大学「エコール・アメリカヌ・デ・ボザール」へ。そこで人生を大きく左右するル・コルビュジェの作品に出会います。
そして1934年にフランク・ロイド・ライトと共に来日。東京のアントニン・レイモンド事務所で建築に携わり、34歳でアメリカに帰国。しかし本国アメリカの技術レベルに失望し、家具制作へと転向することになります。
(2)収容所で出会った木工職人との出会い
やがて太平洋戦争に突入。ナカシマは妻や生まれたばかりのミラと共に、日系人強制収容所に抑留されてしまいます。
過酷な収容所生活の中で、ナカシマは日系人の大工に出会い、木工技術を教えてもらいます。
そしてアントニン・レイモンドの尽力により、ペンシルベニアにある彼の農場に住み込みで働き始め、やがてその近くに小さな住まいを構えます。現在の場所へ移ったのは1947年です。
(3)スタジオ設立と「ミングレン」
1957年にはついにスタジオ「コノイド・スタジオ」が完成。“一貫生産”にこだわった家具づくりを本格的に行うようになりました。
1964年に来日した際には、彫刻家・流政之の招きで高松の工房を訪ね、高松職人たちの「讃岐民具連」の活動に賛同。その影響で、1960年代後半には、ナカシマのアイコン的作品「ミングレン(民具連)」シリーズが誕生します。
ジョージ・ナカシマの代表作「コイノド・チェア」
たった二脚で支えられている斬新なチェアです。ジョージ・ナカシマのアイコン的作品として知られています。
おわりに
1983年に勲三等瑞宝章を授与したナカシマは、それから数年後の1990年に没しました。
ナカシマの家具づくりの原点であるペンシルベニア州ニューホープには、ナカシマを慕うアメリカ人の職人たちが集い、作品を作り続けています。
ナカシマは生前、このような言葉をのこしています。
木工職人は特別な熱意、完璧を目指す努力、どんな仕事も自分の技術のすべてをかけて実行しなければならないという信念を持っています…自分が作ることができる最高のものを作るために。
アメリカにクラフトマンシップの文化をもたらした、ジョージ・ナカシマ。
「最初はみなどうしても“自分流のナカシマ”を作ろうとします。が、ここの職人の使命は、あくまでナカシマを忠実に継承していくことにあるのです」
(引用:『ジョージ・ナカシマの工房を知っていますか?』)
そう語る熟練アメリカ人の職人の言葉には、ナカシマの伝えたかったクラフトマンシップが確かに宿っているように思います。