北欧モダンの夜明けコーア・クリント。代表作と功績からデザイン哲学に迫る。
2023.12.18 デザイナーズ家具コーア・クリント (Kaare Klint:デンマーク1888-1954)は、“デニッシュモダンの父”と称される家具デザイナーです。1940年代に到来する北欧モダンブームの夜明けをになった人物として知られ、20世紀の家具デザインの在り方そのものを方向づけたとすらいえる、多大な影響力をもっています。
古典家具の研究および古典家具の「リ・デザイン」は、機能と美しさを統合するいわゆる「機能主義」の基礎を築き、デザイナーと作り手の橋渡しによる後進の育成は、のちに北欧モダン界をリードする数々のデザイナーを輩出しました。
今回のキーワードは、「教育」です。クリントは建築科の父から教えられた大切な学びを、生涯を通して実践し続け、次世代にもしっかりとバトンを渡しました。
この記事では、クリントの生涯をあらためて辿ることで、家具デザインの世界を探求していきます。そして、家具の歴史を知る楽しさ、その魅力を、一人でも多くの方に届けられたらと思っています。
1972年創業の旭川家具メーカー「WOW」は、デザイン賞を受賞したデザイナーと共同製作した家具を取り扱っております。そんな作り手であるWOWが、「デザインの歴史」を紐解き、学びながら、「デザインとは何か」「いい家具とは何か」「これからの時代に求められる家具とは何か」を見つめ直すことには、大きな意義があるのではないか。私たちはそう考えています。
(1)建築から家具デザイナーへ
デンマークのコペンハーゲン近郊にある町フレデリクスベルグに生まれたコーア・クリントは、建築家ペーダー・ヴィルヘルム・イェンセン・クリントを父に持ち、幼少時からすでにデザインや建築が生活の一部となっていました。
ブルーノ・マットソンと同様、クリントもまた10代の頃から機能と美に対する関心が強く、機能主義哲学への目覚めが早かったといわれています。
15歳頃から父の背中をみて建築を学び始めたクリントは、王立芸術アカデミー建築科でカール・ピーターセン教授に師事。そこで家具デザインの魅力に憑りつかれることに。
1924年には建築科に「家具コース」が創設され、クリントはそこで家具デザインを教えるようになりました。この出来事が彼の決定的な転機となりました。
1920年代は、世界中のデザイナーや家具職人に影響を与える椅子が、デンマークから数々生み出されることになりますが、その功績を担う中心人物が、まさにクリントだったといわれています。
以下では、そんなクリントが、なぜ「デンマーク近代家具の父」と称されたのかについてご紹介します。
(2)クリントの功績
(2-1)機能主義の基礎を築いた
家具の形は機能に従う――という考え方を機能主義といいます。これは、科学の発展が著しくなった19世紀後半から登場したデザイン哲学の一つであり、いうまでもなく、20世紀以降のデザインに多大な影響を及ぼしました。家具の使い手の快適さを追求する、いわゆる「人間工学」を意識したデザインが、機能主義の最たるものです。
そんななかでコーア・クリントは、まさに、人間工学の礎を築いた功績者です。デコラティブな装飾で華麗なデザインだった古典家具を熱心に研究しながら、「快適なデザインとは何か」を問い続け、「人の行動パターン」「快適な高さ」「座りやすい角度」などを計測しました。
クリントは、空間における家具の在り方にも配慮するという、当時にしては非常に先駆的な考えを持っていました。家具は空間の主役ではなく、機能とデザインを通して全体に調和するものと捉えたのです。
(2-2)古典家具からモダンデザインを生み出した
クリントの素晴らしいところは、その研究姿勢です。彼は古典家具を単に学ぶのではなく、その古典家具から新しいデザインのヒントを得て、「リ・デザイン」というかたちで数々の家具を生み出しました。
北欧モダンの歴史において、この「リ・デザイン」という考え方はきわめて重要な意味を持ちます。まさにその先駆的な考え方を初期から持っていたのが、クリントだったのです。
父のイェンセンは、古いもののなかに新しさを見出すことの大切さを息子に何度も教えていたそうです。あらゆる芸術に通じますが、語り継がれる古典とは、時代の試練に耐え、何世代にもわたって残り続けた「普遍性」を有しています。父の教えをしっかり受け取ったクリントは、古典家具の普遍的な美しさを、機能主義という新しい時代の要求に応えうるデザインへと昇華させたのです。
(2-3)デザイナーと作り手の橋渡しをして後進の人材育成をした
クリントはデザイナーと作り手(家具職人)の連携が重要だ、と考えました。両者のコミュニケーションこそ、デザイン力と技術力の向上につながるからです。
たとえばクリントは、展示会にデザインを学ぶ学生と建築家を積極的に招待しました。クリントのこのような精力的な取り組みは、たとえばフィン・ユールの傑作「No. 45」(1945年)、ボーエ・モーエンセン「ハンティングチェア」(1950年)と「スパニッシュチェア」(1958年)という大きな成果として実を結ぶことになりました。
なかでもボーエ・モーエンセンは「リ・デザイン」の思想を受け継いだクリントの門下生の一人でした。
(3)コーア・クリントの代表作
以下では、クリントの代表作を数点ご紹介します。ライセンスの関係で画像がないものもありますが、いずれも一目見ればその独自性を直感的に理解できる、素晴らしいデザインばかりです。
ファーボウ・チェア(1914年)
クリントの古典家具研究から「リ・デザイン」された代表的な作品。18世紀イギリス様式家具の要素を取り入れたといわれています。デザインはクリントで、製作者はルドルフ・ラスムッセン。デンマーク家具の最高峰と称される熟練の家具職人です。デザイナーと作り手のコミュニケーションにより、細部にまで行き届いた仕上がりになっています。
レッドチェア(1927年)
こちらもイギリスの古典家具研究から生まれた作品。18世紀イギリスのチッペンデール様式の精神を当世流にリ・デザインしたもの。茶褐色の革張りだったので「レッドチェア」と名づけられました(画像参考)。製作はラスムッセン。
プロペラスツール(1930年)
古代エジプト時代より存在する古典中の古典といえば「X字型スツール」。20世紀になると北欧モダン界隈で次々にリ・デザインされた作品が登場します。実はその火付け役を担ったのがクリントでした(画像参考)。のちに「デンマーク三大スツール」として数えられる名作です。
サファリチェア(1933年)
『SAFARI A SAGA of the AFRICAN BLUE』というアフリカ旅行記に掲載されていた軍用折りたたみ椅子にインスピレーションを受けた作品。一部を解体すればコンパクトに折りたたみ可能で、戦地での持ち運びを想定した椅子です。地面が平らでなくても安定するように設計されたというこの椅子は、まさに機能主義哲学の賜物です。
おわりに
北欧モダンは1940年代初頭からいよいよ黄金時代が始まりますが、コーア・クリントにとってはすでに晩年であり、1954年に没するまで、その人生の黄昏を、後進の育成に注ぎました。
クリントはデザイナーであると同時に、研究者であり、教育者でもありました。
「古典のなかに優れたモダンがある」――父イェンセンの教えは、息子クリントへ、そして次の世代へとバトンが引き継がれ、ハンス J. ウェグナー、モーエンス・コッホ、アルネ・ヤコブセン、ポール・ケアホルムなど、北欧モダン黄金時代を牽引するデザイナーに受け継がれていきました。
家具の使い手である「人」をデザインの根本に捉えたクリントは、間違いなく、20世紀以降の「人間工学」の地平を開拓した偉人として今後も記憶されていくことでしょう。
【参考資料】
『名作椅子の由来図典』(著:西川栄明/誠文堂新光社)