バウハウスとは?20世紀のデザイン界に多大な影響を与えたドイツの美術学校について。
2022.11.21 デザイナーズ家具「バウハウス(BAUHAUS)」は、第一次世界大戦後ドイツのワイマールに設立された、世界初の総合的なデザイン教育を行った機関です。
1993年に閉鎖してしまいましたが、14年間という短い期間にも関わらず、現代にも影響を及ぼす程の功績があります。たとえば20世紀の北欧モダンのデザインにも大きなインパクトを及ぼし、コーア・クリントやハンス・ウェグナーなど、いわゆる「機能主義」哲学を継承しています。
そんな歴史的にも名が知られている、バウハウスについての概要をご紹介致します。
デザイン界に多大な影響を与えた「バウハウス」とは
バウハウス(BAUHAUS)は、第一次世界大戦後の1919年ドイツのヴァイマルに設立され、建築・美術・工芸・写真など、デザインの総合的な教育を行った機関です。
1933年にナチスドイツによる弾圧の影響を受け閉鎖に至るまで。わずか14年という短い歴史でありましたが、その間に生み出した教育システムやバウハウス独自のデザインは、現代の私たちの生活にも大きく影響を与える程の功績を残しています。
激動の時代と共に歩んだ「バウハウスの歴史」
まずは、激動の時代共に歩んだバウハウスの歴史からご紹介していきたいと思います。
ワイマールでの開校(1919〜1925年)
バウハウスは、ドイツのワイマールの美術学校と、工芸学校が統合され誕生しました。
初代校長は近代建築の四大巨匠の1人である、ヴァルター・グロピウスです。
設立時には「すべての造形活動の終着点は建築である。」といった内容が述べられているバウハウス宣言が発表されました。この宣言によって、バウハウスの方針や理念が固められていきました。
充実した教育体制を整えるため、当時活躍していた数々の芸術家に声をかけ、教授として招待しました。
ですが、次第にワイマール共和国の不安定な政治情勢や、右翼政党からの攻撃により、バウハウスへの批難の声が高まってきました。そのため、ワイマールのバウハウスは解散せざるを得ない状況となり、1925年に移転を決意しました。
デッサウ移転(1925〜1932年)
移転先はドイツのデッサウでした。移転後はグロピウスが設計した校舎を持つ市立学校となり、バウハウス全盛期とも呼ばれる時期へと移行しました。
この時期(1928年)には、建築や都市計画を専門としたスイス出身の建築家ハンネス・マイヤーが2代目の校長を務めました。
マイヤーは、グロピウスが残した審美主義的要素を一掃し、徹底した理論と機能主義によってバウハウスの再建を試みました。このような取り組みにより、バウハウスの国際的評価が高まりました。
その後3代目校長には、グロピウスと並ぶ近代建築を代表する四大巨匠の1人である、ミース・ファン・デル・ローエが就任しました。
ですが、再度ナチスドイツの弾圧によりデッサウでの運営が厳しくなり、1932年にデッサウからベルリンへと移転しました。
ベルリン移転から閉鎖(1932年〜)
1932年にベルリンに移転してからは私立学校となるなど、移転を繰り返しますが、ナチスドイツの弾圧が激化してしまったこともあり、自主解散という形で1933年にバウハウスの閉鎖を決断しました。
バウハウスの閉鎖後、教授陣はドイツを離れ、アメリカを中心とした国々に亡命し、様々な形でバウハウスの活動を引き継ぎました。
中でもアメリカに亡命した教授陣は「ニューバウハウス」をシカゴに設立することで、世界中にバウハウスの理念を広める活動を続けました。
そして、その活動の波紋は日本や世界各地へと広がり、モダン建築やデザインの基礎として、今日まで影響を与え続けています。
バウハウスが賞賛されている理由
次に、14年間という短い期間しか開校することができなかったバウハウスは、なぜこれ程までに賞賛されるようになったのでしょうか。
その賞賛に至る要因を3つのポイントにまとめ、ご紹介したいと思います。
①豪華な教授陣
バウハウスの教授陣は、様々なジャンルのデザイナーが招待され、教鞭を振るいました。
バウハウスの代表的な教授陣をご紹介致します。
ヴァルター・グロピウス
近代建築の四大巨匠として名高いヴァルター・グロピウスは、モダニズムを代表とするドイツの建築家です。
バウハウスの創立者でもあり、初代校長も勤めました。グロピウスは、デッサウ校の設計も行っています。
ハンネス・マイヤー
ハンネス・マイヤーは、建築や都市計画を専門としたスイス出身の建築家です。
バウハウスの2代目校長を務め、建築過程を本格的に設置した人物ですが、共産主義的思想が強かったため校内からの反感の声が上がり解雇されてしまいました。
ミース・ファン・デル・ローエ
ドイツ出身のミース・ファン・デル・ローエは、グロピウスと並ぶ近代建築を代表する四大巨匠の1人です。
3代目校長を務め、バウハウスが完全閉鎖されてされてしまうまでを見届けました。
ワシリー・カンディンスキー
ワシリー・カンディンスキーはロシア出身の画家であり美術理論家です。
抽象絵画理論の創始者とされ、ドイツやフランスでも活躍し、後に両国の国籍も取得した人物です。
ヨハネス・イッテン
ヨハネス・イッテンは、スイス出身の芸術家です。
イッテンは、設立したばかりのバウハウスで予備課程を担当しました。バウハウスや自身の学校において、独自の造形論や色彩論を主張し展開していきました。
モホリ=ナジ
モホリ=ナジ・ラースローはハンガリー出身の構成主義の美術家で写真家、タイポ・グラファー、美術教育家として知られています。
「光と運動による造形」という創作理念の元、フォトグラムという表現方法を使った作品も数多く残しています。
マルセル・ブロイヤー
バウハウス第1期生であるマルセル・ブロイヤーは、ハンガリー出身の建築家、デザイナーです。
彼は「ワシリーチェア」という、当時では画期的なチェアを生み出しました。(下記の項目で詳しく紹介しています。)
バウハウス閉鎖後はアメリカへ移り、ハーバード大学でデザインを教えました。
パウル・クレー
ドイツ出身の画家パウル・クレーは、ヨーロッパ近代美術の歴史の中で重要な役割を果たした人物です。
彼は、画家であると同時に、優れた理論化・教育者としても知られ、造形芸術について数多くの著書を残しています。
ご紹介してきた様に、バウハウスでは主義や思想の違う教授陣が集い、教鞭を取っていました。彼らはバウハウスの理念に仕え、時には議論し切磋琢磨し合う創造的なパートナーでありました。
この様な要因もあり、バウハウスでは画期的なアイディアや現代に影響を与える程のプロダクトを数多く生み出す場となりました。
②教育システム
バウハウスは「全ての芸術の統合」を目指し、教育システムもそれに沿って作られました。
バウハウスが築いた教育システムは、段階を経て学びを進めていくスタイルのものでした。
バウハウス入学者はまず、半年間かけて「形態教育(基本)」と呼ばれる基礎造形課程を受講します。この課程では、色彩や様々な素材を用いての実習など、自由な創造力と造形の基本的な知識を身につける授業が行われました。
次の段階のカリキュラムとしては、3年間の「クラフト(実技)」のコースが用意されていました。クラフト教育では、石工、木工、金工、陶芸、ガラス、色彩、テキスタイルに分かれ、それぞれのマイスター(親方)の元で実技を身につけました。
この教育システムは、当時の画家や彫刻家の養成を目的とした美術学校や工芸学校とは一線を画すものであり、現代のデザイン教育の規範となりました。
③現代にも影響を及ぼしているバウハウスのデザイン
バウハウスが世に放つプロダクトは、「余計な装飾を排除した、シンプルで機能的な美しさ」を重視したデザインでした。
現代にも影響を及ぼしているバウハウスのデザインの例を簡単に2つご紹介したいと思います。
ヘルベルト・バイヤー のタイポグラフィ「ユニバーサル」「バウハウス」
バウハウスは、広告やタイポグラフィの分野でも現代に大きな影響を与えています。
「タイポグラフィは伝達の手段として何よりもまず明瞭でなくてはならない」という意識のもとに生み出されました。
ヘルベルト・バイヤーは、バウハウスで初のタイポグラフィの教師でした。
彼は、バウハウスムーブメントに参加し、「ユニバーサル」という名前のフォントを発明しました。後に1969年には「バウハウス」と名付けたフォントを完成させました。
マルセル・ブロイヤー の「ワシリー・チェア」
マルセル・ブロイヤーが、バウハウスの工房で指導をしていた頃、アドラー社製の自転車ハンドルの美しいラインから着想を得てデザインされたのがこの「ワシリーチェア」です。
当時、木製のチェアが一般的でしたが、スチールパイプを加工して作ったことで画期的なチェアとして注目を浴び、大量生産を目的とした家具の先駆けとなりました。
また、バウハウスの教授だった画家のワシリー・カンディンスキーが教員住宅で使用するための椅子だったことからワシリーチェアの名が付きました。
まとめ
バウハウスとは | 世界初の総合的なデザイン教育を行った機関であり、現代にも影響を及ぼすデザインを数々生み出してきた。 |
---|---|
バウハウスの歴史 | ・ワイマールでの開校 ・デッサウ移転 ・ベルリン移転から閉鎖 14年間という短い期間でありながらも、多大なる功績を残した。 |
バウハウスのすごいところ | ・豪華な教授陣 ・教育システム ・現代にも影響を及ぼしているデザイン |
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